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シンガポール在住者の日記です。 メイントッピクはホーカーセンター(すなわちB級グルメ)の話題ですが、その他に毎日の食事メニュー、飼い犬、当地の戦争史跡、TOEIC受験等をアップしていきます。


by verdy_coco_leon
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シンガポール陥落 (2) コーズウェイ

1941年12月8日午前1時30分(日本時間)に、山下奉文中将率いる第25軍第5歩兵師団は、タイのシンゴラ及びバタニ、そしてマレーシア北部のコタバルに上陸し、その後、マレー半島を南下してシンガポールを目指しました。 後に近衛歩兵師団も合流し、ペナン島の無血占領、そして島田戦車隊によるスリム殲滅戦等の幾多の戦いを経て、シンガポールの対岸のジョホールバルに到着したのが1942年1月31日のことでした。 2月3日には第18歩兵師団及び重砲兵部隊も順次合流し、第25軍の主力3個師団が揃うこととなりました。

しかるに英国連邦軍はどうかと言うと、英国本土兵、オーストラリア兵、インド兵、マレー義勇兵で編成されていましたが、武器・訓練・士気とも日本を下回っていました。 特に彼らの士気を下げたのは、英国本土艦隊からシンガポールへ回航された新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、及び巡洋戦艦レパルスが、1941年12月10日に日本海軍の陸上攻撃機により撃沈されたことで、それは兵や民衆だけではなく、チャーチル首相にも大きなショックを与えたと言われています。

さて、下の写真はシンガポールからマレーシアへ渡るコーズウェイ(堤防道)を撮影したものです。 判りにくい写真ですが、中央右手を走る3本の線が水のパイプ、そのすぐ左手に鉄道、その左側に道路があります。 この写真で見える高層ビルは、全てマレーシアのジョホールバル市に建っているものです。
シンガポール陥落 (2) コーズウェイ_e0195952_22473036.jpg

マレーシアからシンガポールへ入国し、少し進んだ交差点を左折すると、Admiralty Roadに入ります。 その道をしばらく行き、交差点を左へと2回曲がると、Admiralty Road Westに出ます。
シンガポール陥落 (2) コーズウェイ_e0195952_22475252.jpg

下の写真は、Admiralty Road Westから撮影したものです。 左手から中央へ走っているパイプがある部分がコーズウェイです。 対岸は勿論マレーシアです。
シンガポール陥落 (2) コーズウェイ_e0195952_22481389.jpg

上の写真の左側の部分を拡大したものです。 中央のビルの後ろ側にそびえる塔が、ブキット・セレネ宮殿. Istana Bukit Sereneに建つ高さ約32mの塔で、山下将軍がここからシンガポールを観察したと言われています。
シンガポール陥落 (2) コーズウェイ_e0195952_22483320.jpg

Admiralty Road Westは海岸沿いに伸びていますが、海岸側はご覧のように工事中です。
シンガポール陥落 (2) コーズウェイ_e0195952_22485156.jpg

どうも海岸沿いに遊歩道を建設しているようです。 更に先に進むと、公園の整備が進められていました。 将来は良い散歩道になりそうです。 公園近くから撮影したジョホールバルです。
シンガポール陥落 (2) コーズウェイ_e0195952_22492217.jpg

さて、日本軍のシンガポール上陸は、1942年2月8日真夜中に開始されました。 日本軍が上陸したと言われる地域を撮影しましたのでそれも投稿する予定ですが、その前にシンガポールの防備に関する写真を、次回そして次々回と投稿します。



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by verdy_coco_leon | 2010-02-02 22:49 | 戦争史跡 in シンガポール