シンガポール陥落 (9) ジュロン・クランジ防御線(THE JURONG-KRANJI DEFENCE LINE)
2010年 02月 10日
ジュロン・クランジ防御線というのは、クランジ河からジュロン河を南北を結んだ線で日本軍を食い止める意図で、英連邦軍が戦線を形成したものです。 ここで英連邦軍も善戦し、日本軍の攻撃を停滞させるかと思われたのですが、本部の命令を勘違いして戦線から撤退した部隊が出たために、この戦線から全面撤退ということになってしまいました。
ジュロン・クランジ防御線の記念碑は、11個のうちの3番目です。 この記念碑のある場所は、Jurong West Ave 2の近くですが、記念碑に行くためにはCorporation RoadからJurong West Ave 1を経由しなければなりません。
この記念碑を探すのには苦労しました。 地図を見た感じは運河沿いにあるように思えるので、そちらを探しました。 しかし見つかりません。
20分程うろうろして、ようやく見つけることが出来ましたが、実は団地のど真ん中にありました。
この記念碑、何の変哲も無い場所に建っているので、わざわざ見に行く価値は無いのではないかと思えます。 観光客で苦労して現地まで行かれた方々は、きっと怒ったでしょう。
さて、テンガ飛行場付近に集結した第5師団は、ブキパンジャンへ向かい東へ進撃を開始しました。 この時の目標の一つが、ブキパンジャン村の南にある434高地とそのすぐ南にある437高地です。 現在、この二つの高地にはシンガポール国軍のキャンプがあり近づけません。 キャンプの前の道路を通った際に撮影した写真がこれで(対した情報量はありませんが)。
294高地は437高地の南にある高地で、これは以前紹介した場所がそのものズバリだと思います。 非常に眺望が良い場所でした。 その時の投稿を参照してください。
第18師団は第5師団のすぐ南側を東南に向かって進撃し、ブキティマ村の西から南西にかけての高地群を占領しました。 その中に186高地があるのですが、私は以前、その高地に建てられた家に住んでいました。 非常に眺めが良い家で、2階の寝室からは東方向が遠くまで見渡すことができました。 当時撮影した朝焼けの写真です。
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ジュロン・クランジ防御線の記念碑は、11個のうちの3番目です。 この記念碑のある場所は、Jurong West Ave 2の近くですが、記念碑に行くためにはCorporation RoadからJurong West Ave 1を経由しなければなりません。
この記念碑を探すのには苦労しました。 地図を見た感じは運河沿いにあるように思えるので、そちらを探しました。 しかし見つかりません。
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この記念碑、何の変哲も無い場所に建っているので、わざわざ見に行く価値は無いのではないかと思えます。 観光客で苦労して現地まで行かれた方々は、きっと怒ったでしょう。
さて、テンガ飛行場付近に集結した第5師団は、ブキパンジャンへ向かい東へ進撃を開始しました。 この時の目標の一つが、ブキパンジャン村の南にある434高地とそのすぐ南にある437高地です。 現在、この二つの高地にはシンガポール国軍のキャンプがあり近づけません。 キャンプの前の道路を通った際に撮影した写真がこれで(対した情報量はありませんが)。
294高地は437高地の南にある高地で、これは以前紹介した場所がそのものズバリだと思います。 非常に眺望が良い場所でした。 その時の投稿を参照してください。
第18師団は第5師団のすぐ南側を東南に向かって進撃し、ブキティマ村の西から南西にかけての高地群を占領しました。 その中に186高地があるのですが、私は以前、その高地に建てられた家に住んでいました。 非常に眺めが良い家で、2階の寝室からは東方向が遠くまで見渡すことができました。 当時撮影した朝焼けの写真です。
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by verdy_coco_leon
| 2010-02-10 17:54
| 戦争史跡 in シンガポール