シンガポール在住者の日記です。 メイントッピクはホーカーセンター(すなわちB級グルメ)の話題ですが、その他に毎日の食事メニュー、飼い犬、当地の戦争史跡、TOEIC受験等をアップしていきます。


by verdy_coco_leon
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カテゴリ:戦争史跡 in シンガポール( 21 )


その1からの続きです。

その1に掲載した地図を再び参照してください。
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左下に、北西から南東へ流れる”Stream”の表示があります。 これは小川ですね。 この”Stream”と”Adam Road”が交差するところには、現在はガソリンスタンドがあります。 その裏手に回ると、この通り、小川(排水溝)がいまだに残っています。 これはガソリンスタンドの裏手から北西を見た写真です。
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“Stream”の右手に道路がありますよね。 その入り口の写真がこれです。
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“Adam Park”というのが道路の名前で、家番号の2から6まであるという看板が見えます。

この道路を北西へ向うと家が見えてきます。 これが2番の家です。
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この道路を更に北西へ進むと、3番、4番と家があり、この5番に辿りつきます。
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その先に6番の家があり、道路はそこで行き止まりです。
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地図では斜線の部分がありますね。 そこはテニスコートです。 現在はありませんが。 テニスコートの真上(真北)の家が6番です。 地図では6番から右上(北東)へ伸びる道路がありますが、現在は存在しません。

地図上のテニスコートが表示されている場所は、今は何もありません。 その地点から下流方向を撮影したのがこれです。
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地図では”Stream”がS字状に曲がっていますね。 上の写真もS字状になっています。 地図が正確なのが良くわかりますね。

さて道路を南西へ戻り、家番号7の方へ向います。 7番は小高いところにあるので、7番へ通じる道は登り坂です。 途中から北西方面を眺めたのがこの写真で、写っている家は9番です。
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さて、ここから一旦、"Adam Road"に戻りましょう。 家番号の2から6まであるという看板が見えるところですよ。 そこから"Adam Road"を北にほんの少し進むと、ここに出ます。 左手に見える建物が7番、昔は大隊本部が置かれ、今は日本料理屋になっている建物です。
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その3へ続きます。

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by verdy_coco_leon | 2010-04-07 14:23 | 戦争史跡 in シンガポール

前々回(130高地の戦い)と前回(130高地の戦い)と平行して戦われた、アダムパーク(Adam Park)を巡る戦いを何回かにわけて紹介します。 アダムパークの戦いは、シンガポール戦でも屈指の激戦となりました。 その戦いは高地を争奪する戦いですが、コロニアル様式の洋館を1軒1軒奪取する壮絶な戦いとなりました。 それらの洋館は今でも残っています。
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アダムパークを攻めるのは、日本帝国軍 第5歩兵師団 第21旅団(杉浦旅団) 第42連隊(安藤連隊) 第1大隊(丸谷大隊)だと思われます。 対して、守るは英国陸軍 第18歩兵師団 第55歩兵旅団 第1ケンブリッジシャー大隊(1st Cambridgeshires Battalion)です。 この部隊は英国本土から派遣された部隊であり、士気が極めて旺盛でした。

ちなみに、マレー・シンガポール戦に参加した英連邦軍は、その多くがインド兵及びオーストラリア兵で構成されており、英国本土の兵は数的には主力ではありませんでした。 また他にマレー半島に居住する兵から編成されたマラヤ歩兵連隊も参加し、華僑の一般人で編成されたダルフォースもシンガポール戦に参加しています。 一般的にインド兵・オーストラリア兵は士気が低く、英国本土兵は比較的士気が高く、そしてマラヤ兵・華僑は自分達の土地を守ろうと士気が旺盛だったようです。

アダムパークの場所について説明します。 アダムパークの洋館群は現在も残っており、欧米人が主に住んでいます。 場所はアダムロードとPIE(高速道路)の交差点の南側、アダムロードの西側になります。 日本人会の向かい側と言ったらわかりやすいでしょうか。 アダムパークの入り口にはこの看板が立っています。
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またアダムロードから見えるこの邸宅(No. 7)は、現在では日本料理屋になっています。
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付近の地図です。
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上部に北西から南東に斜めに走っているのがSime Roadです。 以前、紹介しましたね。 そして、右上から左下に走っているのがLornie RoadとAdam Roadです。 右上の交差点が、以前紹介した地獄の業火の交差点です。 右下に”Adam Park Estate”と書かれていますが、その”Adam”の真上にある丘陵マークの左側辺りが、現在の日本人会です。
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また左下に"Stream"とありますが、その右手に”7”と書かれているのはわかりますか。 その家が、前述した今は日本料理屋になっている洋館で、当時は第1ケンブリッジシャー大隊の司令部が置かれていた家です。

さて、この付近の重要な軍事目標は3つの丘です。

最初の丘が”Adam Park Estate”自体です。 左下の家が集まっている、”The Valley”と”Stream”に挟まれている部分です。 ここに表示されている殆どの家が、現在でも残っています。

二つ目の丘が、地図中央左よりにある“Water Tower Hill”です。 ここは現在、The Arcadiaというコンドミニアムが建っています。 その丘の南側は”The Valley”と書かれていますが、ここは今でも残っています。 それがここです。
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左手に真っ直ぐ奥に伸びているのが小川です。 今は排水溝になっていますが。 右奥にThe Arcadiaが見えますね。 日本軍はThe Arcadiaの方向から写真の手前に攻撃してきたのです。

三つ目の丘が、地図の中央右よりにある”Hill 95”です。 残念ながらPIE(高速道路)がこの真上を通っていますので、この丘はもうありません。 ただし南側斜面の一部分は今でも残っています。

その2へ続きます。

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by verdy_coco_leon | 2010-04-06 10:49 | 戦争史跡 in シンガポール

先日の130高地からの続きです。

第5師団第11連隊(渡辺連隊)の第3大隊(市川大隊)が苦労の末、墓地から130高地へ繋がる英連邦軍の陣地を占領し、市川大隊は北東の墓地内にある160高地(ブキブラウン)を目指しました。 そして後続の第41連隊(岡部連隊)第1大隊(宮本大隊)は130高地の南東にある138高地を目指しました。

その138高地を探そうというわけです。 昔の地図と、現在の地図を見比べて場所を推定するわけですが、Kheam Hock RoadとPIE(Pan Island Express Way : 東西に走る高速道路)が交わる地点のすぐ東側のようです。 地図から推定するに、PIEのすぐ北側ではないでしょうか。

138高地の北側には、Kheam Hock RoadからLor Mesuという小道が138高地の北側を覆うように走っています。 そこを歩いていましょう。

Kheam Hock Roadを下ってしばらくすると、左側に小道があります。 そこを左折するとこんな感じです。
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道路は下り坂です。 小道に入ってから150から200mくらいでしょうか、こんなものがありました。
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多分、カンポン(村)の跡ではないでしょうか。

右側に見えるコンクリ壁の中はこんな感じです。 これは水を浴びる部屋だと思います。
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この周辺には建物の跡が多く見受けられます。
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建物の跡だけではなく、お墓も沢山…。
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小道の右側から小高い丘が見えるのですが、これが138高地かもしれません。 写真だとあまり良くわからないですね。 途中に見えるのは墓石です。
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更に進むと廟のようなものがあり、車が停まっています。 何か嫌な感じがしたので、ここから引き返しました。 小道はまだ下り坂なので、138高地へ行けそうもありませんし。
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Kheam Hock Roadに引き返し、南に進むとPIEにぶつかりました。
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PIE沿いの左手に小道があります。
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そこから138高地へ行けるかもと考えましたが、50mほどで下草がひどくなり断念。 今日は半ズボンでしたので、蛇が怖くて・・・。

PIEをくぐると住宅地です。 PIEの土手沿いに左手に進むことが出来ますので、行けるところまで行ってみましたが、潅木に行く手を妨げられました。
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そこから南側の住宅地を撮ったのがこれです。
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結局、残念ながら、138高地は確認できませんでしたが、大まかな場所はわかりました。

このあとは、Kheam Hock Roadを更に南下し、Dunearn Roadに出ました。 南下してきた道をふりかえるとこんな感じです。 カメラが傾いていましたね。
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今回は138高地が確認できず、中途半端なレポートで失礼しましたm(_ _)m


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by verdy_coco_leon | 2010-03-29 09:52 | 戦争史跡 in シンガポール
日本軍はAdam Road/Lornie Roadの西側にあるゴルフ場のフェアウェイから、Adam Road/Lornie Roadの東側にある墓地及び130高地を攻めました。

攻撃側は前回説明したように第5師団第11連隊(渡辺連隊)の第3大隊(市川大隊)、守っていたのは英国陸軍の第18歩兵師団 第54歩兵旅団の第4サフォーク大隊です。 第3大隊(市川大隊)にはかの有名な島田豊作少佐が率いる戦車第6連隊(河村戦車連隊)の一個中隊が援護につきました。

島田豊作著 「サムライ戦車隊長」 光人社NF文庫のP386~409にこの戦いの記載がありますが、12日昼よりゴルフ場の稜線に進出した島田中隊はその位置を3日間保持し、15日の明け方に市川大隊と共に墓地陣地に対する攻撃を始めました。 この時に島田中隊が待機していたゴルフ場の稜線というのは、この写真を撮った場所だと思います。

この写真は稜線から東方向を撮影したものです。 私が立っている場所のすぐ右側がSime Roadです。 正面にグリーンが見えますが、その先の生垣の向こう側がLornie Roadです。 Lornie Roadの向こう側にこの写真で見えている人家があり、更に人家の背後の木立が墓地及び130高地です。
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同じ場所から逆方向(西側)を撮影したものです。 島田中隊は、恐らくこの稜線の向こう側から砲塔だけを出した状態で待機していたのではないでしょうか。 しかし、島田中隊の位置は、左手の奥に見える稜線の可能性もあります。
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Sime Roadを東に進むと、前回投稿したようにAdam Road/Lornie Roadの交差点に至るのですが、Adam Road/Lornie Roadを超えて更にSime Roadを進みます。 その地点から東を見たのがこの写真です。 右手に既にお墓が見えます。
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ここに写っている人家が、先のゴルフ場のフェアウェイからの写真に写っている人家です。 じつは、この人家の立っている場所は墓地の跡です。 Sime Roadを更に東に進んでこれらの人家の裏手に出ると…。 野原に点々と見えるのが墓石です・・・。
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わっ~、ちょっと怖いですよね。 墓地の真上に住んでいて、裏手が墓地なんて。

人家の裏の墓地の写真を撮ったところはT字路になっています。 このT字路を北に向うと墓地に入ります。 その墓地の門がこれです。 ちなみに130高地はこの写真の右手後方にある丘だと思います。
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墓地を入ると大きな広場になっています。 130高地からこの広場にかけて、第4サフォーク大隊が展開していたのではないでしょうか。
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すぐ右手に墓石が…。
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広場を北に進み西側をみると、ずっと斜面が下っています。 そこから撮った写真がこの2枚です。
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この斜面を下っていくとLornie Roadに当り、その向こうがゴルフ場です。
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広場には車が何台か駐車してあり、人の気配はあるのですが、人の姿自体は全く見えません。 上記の2枚を撮った場所から門の方向を振り返って撮影したのがこれです。
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正面左手の高い木が何本かあるところの裏手が130高地だと思われます。

130高地と思われる丘のふもとから見上げた写真です。
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この辺り、正直言いまして不気味です。 Lornie Roadから聞こえる車の音と、鳥がたまに囀る以外が、とても静かですし。

これも130高地と思われる丘を見上げた写真です。 写っているのは、典型的な中国人のお墓です。 当時は土葬でした(現在は土葬は禁止)。
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墓地を出てT字路へ戻り、そこを左折してSime Roadを再び東へすると道路名がSime RoadからKheam Hock Roadに変わりますが、その道路を南東へ向います。 138高地を探すためです。 その途中にも右側に墓石が多数見えます。 次へ続きます。


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by verdy_coco_leon | 2010-03-24 23:05 | 戦争史跡 in シンガポール
Sime Roadを東へ進むと、Adam Road/Lornie Roadとの十字路に突き当たります。 その十字路を左折し北へ向うとLornie Road、右折するとAdam Roadです。 直進するとSime Roadが続きます。

その交差点を渡り、来た方向を見たのがこの写真です。 正面の道路がSime Roadです。 右手の垣根の向こう側がSICC (Singapore Island Country Club) のゴルフコースです。
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正面右手の道路標識をクローズアップしたのがこの写真です。
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180度回転して東方向を撮影した写真です。 この道路もSime Roadです。 ここを少し進むとT字路に出ますが、そこを左折すると広大な墓地に出ます。 130高地はその交差点の左斜め前方ある丘です。
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交差点から南へ少し下った場所から北方を撮影しました。 直進するとThomson Roadへ出ます。
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ここが、2月13日・14日に両軍の砲弾が降り注いだので、地獄の業火の十字路といわれた場所なんですよ。

なぜこの交差点が戦いの焦点となったかと言いますと、先ほど説明した130高地の争奪戦が激戦だったからなのです。 この交差点から130高地の頂上までは100~150mしか離れていません。

攻撃したのは、日本帝国陸軍の第5歩兵師団第11連隊(渡辺部隊)です。 2月14日に130高地を最終的に占領したのは、同連隊の第3大隊(市川大隊)です。 守備側は、英国陸軍の第18歩兵師団 第54歩兵旅団の第4サフォーク大隊です。

それから高地の場所については、よほど著名な場所(例えばブキティマ高地又の名を581高地)以外は私が推測したものですから、間違っている可能性もあることをご承知おきください。 それと高地の表示はメートルではなくフィートですからお間違えなく。 130高地というのは、標高約39mということです。 581高地ということは標高約174mとなります。

さて、次回は前述の墓地及び130高地についてアップします。


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by verdy_coco_leon | 2010-03-22 17:03 | 戦争史跡 in シンガポール
前回の[サイムロードのトーチカ]の続きです。

トーチカからSime RoadをLornie Road / Adam Roadへ向うと、右手に洋館が見えてきます。 それが当時の英連邦軍総司令官であったパーシバル将軍の宿舎であったと私は推測しています。
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更に道路を少し下ったところから撮影しました。 見難いでしょうが、邸宅は2階建てで、一番左の丸い部分が特長的です。
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敷地にフェンスはありません。 このような邸宅は政府が管理しており、貸し出しをしています。 借りるのは主に欧米人のようですが、最近は飲食店として使われるケースも多くなっているようです。 Dempsey RoadやPortsdown Roadにそのようなケースが多く見られますよね。
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更に道路を下ると、丘の中腹に石段がありました。 何の石段がわかりませんが、古そうだったのでパチリ。 先ほどの邸宅の一部のようです。
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そこから振り返るとこんな感じです。 右手に見える道路が、私がいま下ってきた道路です。 その右手はゴルフ場のフェアウェイです。
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上の写真の少し左手を撮影したものです。 邸宅はこの正面にあります。
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丘を少し下って同じ方向を撮影したものです。 丘が結構急であることがわかるとおもいます。
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先ほどの写真のすぐ左手にある門です。 この道路は先ほどの邸宅に繋がっているはずです。 理由はあとで説明します。
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パーシバル将軍がマラヤ方面総司令官としてシンガポールに着任した1941年7月においては、シンガポールにおける英連邦軍の統合本部はフォートカニングにおかれていました。 しかしそこはスペースが狭いために、他の場所に統合本部を設置することに決定したそうです。 そして新たな統合本部の設置場所となったのが、RAF(英国空軍)極東本部が置かれていたこの場所なのです。

新たな統合本部は1941年12月6日(開戦2日前)に完成しました。 しかし全ての機能がこちらに移転された訳ではなく、フォートカニングが主に使われたようです。

パーシバル将軍の宿舎はこの敷地内にあったことは事実として判明しています。 それがどこにあったかということを考えてみました。

この地図は、1939年に作成されたRAF極東本部のレイアウトです。 この地図からはどこの宿舎かはわかりません。 ただ、地図の上方中央にある建物が、前述の写真の邸宅であると推測しています。 その理由はSime Roadとの位置関係及び建物の形状からです。 前述のように、丸い部分が大きな特徴となっています。
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次の地図は、1950年代の当該地域のレイアウトです。 前の地図と方位が若干変わっています。 この地図を若干左に回すと、先ほどの地図と同じ方位になります。

中央下より右側の建物が、前述の写真の邸宅であることはその位置から間違いはないとおもいます。 この地図には前回の最後に掲載した写真、Sime Park Hillも左上方に見えますが、距離的に位置関係はピッタリです。

またこの建物へのアプローチは2箇所ありますが、右下のアプローチが、先ほど掲載した門付きの部分だとおもわれます。

ただし、建物の形状は異なっているのが気にはなります。 この地図で重要な点は、この建物がC-in-C’s Residenceであると記されていることです。 C-in-Cとは、Commander-in-Chief、つまり最高司令官です。
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1950年代に空軍総司令官が宿舎として使っていたこの邸宅が、1942年にパーシバル将軍が宿舎として使っていたのではないかというのが私の推測です。

もちろん、他の建物であったという可能性はあります。 最初の地図の左上に大きな建物がありますが、そちらが宿舎であった可能性はあります。 この建物は現存していませんので、戦闘中に破壊されたかもしれません。 それが為に、戦後は残っていた前述の建物がCommander-in-Chiefの宿舎として使われた可能性もあります。

本件については、最初の地図のオリジナルコピーを手に入れれば、インデックスからどこが総司令官の宿舎であったかわかるとおもいますので、継続して調査してみるつもりです。

次回はSime RoadとLornie RoadそしてAdam Roadの交差点を紹介します。 ここは当時、Hellfire Corner(地獄の業火の角)と呼ばた場所です。


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by verdy_coco_leon | 2010-03-20 11:32 | 戦争史跡 in シンガポール
シンガポール陥落シリーズは1ヶ月振りの更新です。 興味を持って読んでくれる方がいるかどうかわからなかったので、ちょっとテンションが下がってしまい更新が伸び伸びとなってしまったのですが、読んで頂いている方がコメントを送って下さったのに勇気を得て、再開いたしました。

前回は、「ゴルフコースの戦い」でしたので、そのお隣のサイムロードにあるトーチカについて説明したいと思います。 

私が知っている限りではシンガポールに現存するトーチカは2箇所です。 1箇所はシンガポール西部のPasir Panjang Roadにあり、もう一つがSime Roadにあります。 前者は後日紹介しますが、今日は後者を紹介しましょう。 これです。
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非常に小さいトーチカです。 上から見るとほぼ円形ですが、直径は1.8m程度でしょうか。
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トーチカの左手にあるサインボードです。
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場所は前回のゴルフコースの入り口のすぐ手前の道路沿いです。 トーチカから入り口の方向を見たところです。 道路上にゲートが見えますか? 私が立っている場所はトーチカの前です。 右手はゴルフコースです。
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ゴルフコースから道路を挟んでトーチカを見たところです。
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さらに少し手前には、この道路がありますので、これが目印になりますね。 ちなみにこの道路、現在は豪邸が建っておりますよ。
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ここに来るには、PIEからLornie Roadへ入り、すぐ先のSime Roadへ左折します。 ゴルフ場の表示がありますので、すぐにわかると思います。 PIEを降りて最初の歩道橋のすぐ先です。 バス停は歩道橋のすぐ南側にあります。 Sime Roadに入ってからは、歩きで10分弱程度でしょうか。

次回は、このトーチカの近くにあった、「統合本部」についてです。 当時の連合軍の統合司令官、つまりパーシバル将軍、の宿舎がまだ残っているようなのです。 そこを紹介します。


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by verdy_coco_leon | 2010-03-15 16:41 | 戦争史跡 in シンガポール
第5師団の河村旅団(第11連隊と第41連隊が所属)は競馬場からゴルフクラブへ進みますが、英連邦軍の強烈な抵抗にあい、なかなか敵の陣地を抜くことが出来ません。 ゴルフコース内の140高地からクラブハウスにかけての戦いは、一進一退の戦況となりました。

2月14日の「トレッキング in シンガポール (6) パート2」でも紹介しましたが、トレッキング道がゴルフコースに隣接していますので、コース周辺は歩き回ることが出来ます。 ただし、コース内奥深くへは勿論入ることは出来ません。

2月14日に、8番ホールのティーグラウンドから南に向かうフェアウェイを撮影したのがこの写真です。
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私の勘ですが、正面右よりに見える背の高い木の右側が、激戦があった140高地だとおもいます。 写真だと良くわかりませんが、その辺りで一番小高い場所です。

8番ティーグラウンドの標識です。
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数日後にゴルフコース1周にチャレンジしましたが、その時にはコースの南側から北へ向かって撮影することが出来ました。 11番ホールのティーグランド付近から北を撮影したのがこの写真です。
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正面が小高い丘になっていますが、これが140高地だと思われます。 根拠はゴルフコースのこの辺りで一番高い丘のように見えるからです。 写真の中心から右よりのところに高い木が見えますが、これが前掲の写真の中の背の高い木に見えるのですがどうでしょう。

クラブハウスです。 もちろん、戦後に建て直された建物です。 この場所も小高い丘になっています。
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クラブハウスの東側にドライビングレンジがありますが、そこからの眺めです。 正面にちらっと白く見えるところはマクリッチ貯水池です。
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次回はここから近い場所にあった英連邦軍の統合司令部の辺りと、そこに今でも残るトーチカの話題と写真です。


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by verdy_coco_leon | 2010-02-20 14:09 | 戦争史跡 in シンガポール
第5師団第41歩兵連隊の第2大隊(友野大隊)は、12日に85高地を占領し、引き続き前進しました。 そして13日午前2時半頃にワッテンパーク高地付近を占領しましたが、英連邦軍の反撃もすさまじく、このあとはなかなか前進がままならなかったようです。

Upper Bukit Timah Roadを街中の方(南東方向)へ進んで行くと、Farrer Roadに出る少し手前にWatten Estate Roadという道があります。
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これはWatten Estate Roadを北方向に見たところです。 登り坂が続いています。
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同じ位置からUpper Bukit Timah Roadを北西方向に見たところです。 この道路を日本軍が手前に向かって進撃してきたのですね。
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Watten Estate Roadの手前は公園になっていますが。 このような看板がありました。
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by verdy_coco_leon | 2010-02-18 10:02 | 戦争史跡 in シンガポール
前回と同じく、第5師団第11歩兵連隊(渡辺連隊)の第3大隊(市川大隊)の話です。 11日の午後2時頃に275高地付近に達した市川大隊は、一部の敵を撃破しながら、夕刻に300高地に進出しました。

300高地は前回レポートした275高地の南東位置し、300高地からは競馬場が直下に見下ろすことが出来ます。

300高地へ行くには、先のレポートでも触れた、Swiss Club Linkを北上していき、Swiss Viewという道路を最後まで進みます。 すると一番奥にT字路があり、それを、右へ20m程進むとLe Suisse 1というコンドミニアムがあります。 写真の水タンクの右手の鬱蒼としたジャングルの部分です。
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その場から反対側を見ると、衛星通信用のアンテナが見えます。 PIEという高速道路のブキティマ辺りで目に入る白く巨大なアンテナがこれです。
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上の写真ととっつきまで行き、左手を見るとブキティマ高地の辺りが遠望できます。
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良く探せば300高地の頂上へ登る小道が発見できるかもしれませんが、この日は時間が無くて探すことが出来ませんでした。

300高地のあとは、競馬場へ行ってみました。 正しくは競馬場跡ですね。 新しい競馬場がウッドランドの方に出来てからは、この場所はショッピングセンターやリクリエーションセンターとして使われています。

競馬場のスタンドの跡です。 この建物の中が、ショッピングセンターとして使われています。
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スタンド跡の前の駐車場から北西を見た写真です。 正面の白い建物が見える丘が300高地だとおもわれます。 白い建物は、前回のレポートで触れたブリティッシュクラブ又は学校だと思います。
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by verdy_coco_leon | 2010-02-13 06:45 | 戦争史跡 in シンガポール