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シンガポール在住者の日記です。 メイントッピクはホーカーセンター(すなわちB級グルメ)の話題ですが、その他に毎日の食事メニュー、飼い犬、当地の戦争史跡、TOEIC受験等をアップしていきます。


by verdy_coco_leon
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シンガポール陥落 (20) ブキティマの戦い [Adam Parkの激戦 その1]


前々回(130高地の戦い)と前回(130高地の戦い)と平行して戦われた、アダムパーク(Adam Park)を巡る戦いを何回かにわけて紹介します。 アダムパークの戦いは、シンガポール戦でも屈指の激戦となりました。 その戦いは高地を争奪する戦いですが、コロニアル様式の洋館を1軒1軒奪取する壮絶な戦いとなりました。 それらの洋館は今でも残っています。
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アダムパークを攻めるのは、日本帝国軍 第5歩兵師団 第21旅団(杉浦旅団) 第42連隊(安藤連隊) 第1大隊(丸谷大隊)だと思われます。 対して、守るは英国陸軍 第18歩兵師団 第55歩兵旅団 第1ケンブリッジシャー大隊(1st Cambridgeshires Battalion)です。 この部隊は英国本土から派遣された部隊であり、士気が極めて旺盛でした。

ちなみに、マレー・シンガポール戦に参加した英連邦軍は、その多くがインド兵及びオーストラリア兵で構成されており、英国本土の兵は数的には主力ではありませんでした。 また他にマレー半島に居住する兵から編成されたマラヤ歩兵連隊も参加し、華僑の一般人で編成されたダルフォースもシンガポール戦に参加しています。 一般的にインド兵・オーストラリア兵は士気が低く、英国本土兵は比較的士気が高く、そしてマラヤ兵・華僑は自分達の土地を守ろうと士気が旺盛だったようです。

アダムパークの場所について説明します。 アダムパークの洋館群は現在も残っており、欧米人が主に住んでいます。 場所はアダムロードとPIE(高速道路)の交差点の南側、アダムロードの西側になります。 日本人会の向かい側と言ったらわかりやすいでしょうか。 アダムパークの入り口にはこの看板が立っています。
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またアダムロードから見えるこの邸宅(No. 7)は、現在では日本料理屋になっています。
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付近の地図です。
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上部に北西から南東に斜めに走っているのがSime Roadです。 以前、紹介しましたね。 そして、右上から左下に走っているのがLornie RoadとAdam Roadです。 右上の交差点が、以前紹介した地獄の業火の交差点です。 右下に”Adam Park Estate”と書かれていますが、その”Adam”の真上にある丘陵マークの左側辺りが、現在の日本人会です。
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また左下に"Stream"とありますが、その右手に”7”と書かれているのはわかりますか。 その家が、前述した今は日本料理屋になっている洋館で、当時は第1ケンブリッジシャー大隊の司令部が置かれていた家です。

さて、この付近の重要な軍事目標は3つの丘です。

最初の丘が”Adam Park Estate”自体です。 左下の家が集まっている、”The Valley”と”Stream”に挟まれている部分です。 ここに表示されている殆どの家が、現在でも残っています。

二つ目の丘が、地図中央左よりにある“Water Tower Hill”です。 ここは現在、The Arcadiaというコンドミニアムが建っています。 その丘の南側は”The Valley”と書かれていますが、ここは今でも残っています。 それがここです。
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左手に真っ直ぐ奥に伸びているのが小川です。 今は排水溝になっていますが。 右奥にThe Arcadiaが見えますね。 日本軍はThe Arcadiaの方向から写真の手前に攻撃してきたのです。

三つ目の丘が、地図の中央右よりにある”Hill 95”です。 残念ながらPIE(高速道路)がこの真上を通っていますので、この丘はもうありません。 ただし南側斜面の一部分は今でも残っています。

その2へ続きます。

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by verdy_coco_leon | 2010-04-06 10:49 | 戦争史跡 in シンガポール